GoYa Laboratory

動画内などでは語り切れない裏話などを掲載しています

MENU

【ベイブレード】思い出


f:id:goyalab:20220412050421j:plain

みなさん、こんにちは。

GoYaちゃんねるー Goの方、ゴトゥー(@HideponHG)です。

 

本日は、TAKARATOMY×Hatena Blog の特別お題キャンペーンの ベイブレードの思い出について書いていこうと思います。

hmhm、これは興味深い。ちょいと挑戦してみよう。

対象とかあるのかな。どれどれ。

第1世代爆転シュート ベイブレード、第2世代メタルファイト ベイブレード、そして第3世代ベイブレードバースト。どの世代のエピソードでも構いません。印象に残っているバトル、工夫した改造など、いろいろな「ベイブレードの思い出」を、ぜひブログに投稿してください。

引用

https://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/beyblade202203

 

ほほう、バナー画像にある通り全世代が対象のようですね。

かく言う私も少年時代からベイブレードと共に過ごしてきた民でもあります。

3世代にわたって見てきた私ですが、ざっくりと解説すると

 

爆転シュートにドハマり

メタルファイトは苦く切なく

バーストで再燃

っと言ったところでしょうか。

では、各思い出と一緒に見ていこうと思います。

 

爆転シュートベイブレード -出会い-

初めて手にしたのは、恐らく当時小学生のころ。

お祭りのクジ引きの屋台だったと思う。

おばあちゃんから貰った 1,000円札だったか、もう色々回った後で残った小銭だったかで当てた賞品だったと思う。

 

と言うのも、私の実家は家電量販店や玩具屋さんと呼べるようなものはなく、町に出るといっても車で40分~1時間はかかるし公共の交通手段を使おうにも小学生の私が手が出る金額ではなかった。

お小遣いは確か中学生の頃から貰い始めたので先述のような大金は、お祭事やお正月などまとまった日にしか手にしていなかった。

 

さて、本題に戻ろう。

帰宅して、箱を開け組み立てやシールは母親に任せたはず。

昔っからそういう類のものは母親任せだった。

 

長方形のシューターに丸い持ち手のワインダーがセットになっていた。

子供ながら、ワインダーのギザギザの感触は忘れられない。

f:id:goyalab:20220412012340j:plain

引用

https://aucfree.com/items/k517198973

 

ベイブレードを回すには、先ほど述べたシューターをワインダーの他にスタジアムも必要だったが当然我が家には存在しない。

なので持っている子の家に行くしかなかった。

 

じゃあ、どうしたかって

地面である。

もしくは、コンクリート

スリーブなしで TCG を嗜むのと同意義と私の中ではそう思ってる。

 

我が家の庭は土の地面であったため、そこに穴を掘って特設スタジアムを作成。

2つ下の弟とゴーシュートです。

時には弟の保育園の迎えについて行って、同級生と保育園のお庭でゴーシュート

コンクリートは4か5人くらいでデスマッチ的なのをやったような思い出があるなあ。

 

ちゃんとしたスタジアムでやったのは確か小学3年生くらいのときに初めて友だちの家にお泊まりというのをしたときだったと思う。

「実はスタジアム持ってんだ、へへへ」と言ってその子が部屋からスタジアムを持ち出してやった記憶がある。同シリーズ内であっても世代差があり、木端微塵にしてしまった苦い思い出も。。。

 

と、いった感じで催事を通してベイブレードを手に入れて、恐らく同時期に手に入れた同級生や弟と遊ぶということをしていたが肝心の相棒というのを思い出せない。

ベイブレード懐かしいよな」ってかつての同級生や社会人になって話しているときにも皆、ドラグーンライガーといったビットキャラクターを挙げる中、私は思い出せないでいた。。。

 

爆転シュートベイブレード -別れ-

『形あるものはいつかは壊れる』

上記は仏教用語諸行無常であるが、先ほどの木端微塵にしてしまった友だちのベイブレードを体現している。これもまた、別れの1つ。

しかし、私の場合は、そんな優しい言葉で収めることはできない。

では、どういった別れの形であったのか。

それは、捨てられるである。

 

私の母親は結構な捨て魔であった。

気が付いたときにはもう遅い。

「それ、壊れてんじゃん」「それ、色が剝げてんじゃん」

ベイブレードの他にも捨てられたミニカーは数知れず。

 

捨てられた後で気が付いた後ならまだしも、燃えないゴミの日に「ゴミ捨ててきてくれ」と言われて対面したときほどの残酷さは耐え難いものである。

助けたくても助けられない、そんな感情だ。

恐らく、その時の悲しさ、無力さが記憶を消したのではないだろうか。。。

 

かと言って毎回毎回捨てられるだけじゃダメだと学年が上がるごとに身についてくるものである。

そう、退避ということを覚えるのである。

お菓子の空き箱、空き缶、勉強机の中、etc...

色々な場所に隠した。

 

その中で唯一残った爆転シュートベイブレード商品は、これである。

f:id:goyalab:20220412022204j:plain

そう、これは "森永 爆転シュートベイブレード チョコスナック" である。

※黒つぶしのところは名前が書いてあった ( ̄▽ ̄)

 

彼らだけはせめてと守ったものだ。

一応これ以外にも何種類かがまだ、私の実家の隠し場所に眠っている。

だが、同封のシューターたちは帰らぬモノとなっている。

以上、爆転シュートベイブレードについての思い出である。

ここまで書いて 2000文字を超えているらしいが、一応3世代分キッチリ書くつもりです。

 

メタルファイトベイブレード -すれ違い-

最初の概要でメタルファイトは苦く切ないと説明した。

恋のような恋でないような、そんな感じ。

 

メタルファイトベイブレードが発売されたのは2008年の8月。

当時は中学生くらい。

爆転シュートのあの事件以来、ベイブレードからは少し距離を置いていた。

そんな時、たまたま町に出かけていた私は目にした。

そう、BB-01スターター ペガシス105F である。

https://img.mandarake.co.jp/webshopimg/02/00/960/0200209960/02002099603.jpg

引用

https://img.mandarake.co.jp/webshopimg/02/00/960/0200209960/02002099603.jpg

 

何よりも惚れたのは同じスターターの BB-03スターター サジタリオ145S である。

https://img.mandarake.co.jp/webshopimg/02/00/722/0200217722/02002177220.jpg

引用

https://img.mandarake.co.jp/webshopimg/02/00/722/0200217722/02002177220.jpg

 

こちらは、本ブログにおいても一度言及してますね。

 

中学生にもなり、お小遣いも貰っていた。

好きなものは何でも買える!!!というわけにはいかなかった。

その時のお小遣いは約500円であった、やり繰りすれば買えなくはないけど買えなかった。

では、何に使っていたのか

コロコロコミック である。

 

そのため月のお小遣いは消え、皆が部活動の帰りに買い食いに行っているのを半ば羨ましい目で見ながら日々を過ごしていた。

加えて前述や上記記事でも述べた通り、町には中々出かけられないので一度チャンスを逃すともう買えない。

そんな感じでメタルファイトシリーズとはほとんど無縁だったのです。。。

 

ベイブレードバースト -再燃-

少年ゴトゥーはいつしか、青年ゴトゥーになりつつあった。

それは、2016年の冬頃だったが、一本の動画である。

その動画にのめり込み、その翌日には購入していた。

 

その動画の主は Leona。皆が分かりやすい名前で言えば、先生

今をかけるホビーYouTuber の1人だ。

 

熱は相当激しかった。

まずは、セットについてきたシューターのラガーと呼ばれる部分を自作した。

 

何日後かには念願のマイスタジアムを購入。

いつでもどこでもベイができるようになる。

 

しかし、ここで無情にも事件が発生する。

学生時代ワイ、追試に追われる

ベイブレードをやっていた代償というわけではないことは先に言っておきます。

遊んでいたわけでもないです。

前期の点数があまりにも低すぎた。

 

ちょうど 2015~2016年は私にとっても1つの転換期と言っても過言ではない年代であり、プログラミングに力を入れていた時期でもありました。

そのため、前期はそう言ったコンテストに全力を注ぎ、勉強は疎かに。

開発は基本授業がない放課後や、寮に戻って自室だったので授業中は寝ていました。

というわけで、追試が終わるまでベイブレードをできない生活 ファイッ!

無事合格はできて進級しました。

が、またしても壁ができます。

 

こいつです。

☆就☆活☆

 

そして、時は過ぎて行き、、、

9月になっていた。。。

さらに、追い打ちをかけるようにやってきたプログラミングコンテスト、卒業研究、etc...

気が付くと学校を卒業してました。

 

でも、卒業までの間何もしなかったのかというとそうではない。

ベイブレードを寮に持ち込んで皆に思い出を思い出させたり、英語プレゼンムービーの題材にして審査の先生からそれなりの評価をいただいたり。

f:id:goyalab:20220412033729p:plain

確か、学年で4位とかくらいだったような?

 

そうしていると、研究室の先生にも私のベイブレード好きは伝わっていたようで、卒業前には「卒業しても続けていくのかい」と。

私は「もちろん」と。

 

ベイブレードバースト -仲間たち-

卒業後、私は探した。一緒にできる仲間を。

今まで縛られてきた向けられてきた固定概念を崩すために。

かつて捨てられた仲間のためにも。

 

父親からは白い目で見られ、時には罵倒もされた。

そういう事では必死だったのかもしれない。

こうして見つけた仲間、集まり、つまるところオフ会である。

記念すべき第1歩である。 2017年4月1日。

この日を境に、同じ境遇を持つ仲間たちを探す旅に出かけた。

 

色んな仲間に会って、時には談議に花を咲かせてレアベイパーツを譲っていただいたり。

 

仲間を増やし、交流し、オフ会イベントの開催側に入ったり。

 

時には遠出してみたり。

※地元で活動しているチームがあったという盲点、早速連絡してプチオフ!

 

もちろん公式のイベントにも参加!

 

そして、更なる高みとしてチャンネルを開設。

現在のご時世的に活動はこちらがメインにはなっているけれど、様々な形で昔からの皆さんとの交流は続いています。

チャンネルでは如何にして楽しむかを重きに置いて活動をしています。

それにしても、あれから5年弱、あっという間でした。

 

おわりに

ここまで長々と話してきましたが、まだまだ語り切れないことだらけです。

文字数制限がなかったことが救いですね^^

そして、本企画を通して自身のルーツを見直すことができました。

これからも1ユーザとして、精進して参ります。

 

また、公式ではベイブレードアンバサダー "ベイバサダー" なる企画が進行しています。

もちろん応募しました。

選ばれた暁には、より一層のベイブレード文化の普及に努めていきたいと思います。

それでは、また。